昔の給食レシピを再現!①【昭和22年】

昭和22年の給食レシピを再現!

日本で最初の学校給食は、明治22年、山形県鶴岡町(現在の鶴岡市)の私立忠愛小学校から始まります。
この小学校は貧しい子どもにも教育を与えようと、お寺の一部を利用して開校されたもので、お弁当を持参できない子どもも多く、無償で昼食が提供されました。
「米飯、野菜および魚が主」だったとの資料が残っています。
その後、全国各地で学校給食が始まりますが、第二次世界大戦により一時中断されました。

そして昭和22年1月21日、東京の小学校で学校給食が再開されます。
ララ(アジア救済委員会)や米軍から支援された脱脂粉乳、ジャム、缶詰、シチューの素などの配給物資によって作られました。
当時の新聞記事より再現したのが「マカロニと鮭缶のミルクスープ」です。
記事には、【マカロニとカンヅメのサケをミルクで煮こんだのをお椀にいっぱい、お弁当を開いて“いただきまあす”という声も明るい】【『これは進駐軍のお土産ですよ』という先生の説明を聞きながらさけかんのスープに心の中まで温まった】と記載されています。
給食が再開されたといっても、まだ週に2、3日がやっとだったようで、配給には含まれない野菜や調味料、燃料の入手に、教師は悩まされました。

また、給食再開1年を祝った献立を再現したのがこちら。

昭和22年の給食レシピを再現!

「ミルク、コンビーフと野菜のスープ」です。
これに、先生手作りの菓子が付いたとの記録が残っています。
このミルクの正体は、脱脂粉乳ですが、生乳から乳脂肪分を除去した残りを粉末状にしたもの。

昭和22年の給食レシピを再現!

ドラム缶に入ってアメリカから輸入されました。
(写真:カリフォルニア州オークランド港での、米国物資贈呈式)

子どもたちの栄養失調が問題になる中、脱脂粉乳は牛乳よりもたんぱく質やカルシウムを多く含み、当時貴重な栄養源となりました。
当時の調理員さんによると、脱脂粉乳はドラム缶の中でカチカチに固まっていて、粉を削るのが大変だったようです。
またドラム缶の処理にも困り、体育館の用具入れなどに再利用されました。
ひょっとしたら、どこかの体育館にまだ残っているかもしれませんね。

次回は昭和30年代の給食についてお伝えします。

(月刊「学校給食」2013年3月号『給食ありがとう 歴史&メニュー』より)

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(配信元:有限会社 全国学校給食協会)